亀崎幼稚園あゆみ
 

80周年記念誌・100周年記念誌・亀崎幼稚園沿革誌等より抜粋

 

1 設立(明治32年頃)
 
 亀崎幼稚園は明治35年(1902年)10月14日に愛知県知事の認可を受けて、私立幼稚園として設立された。
 設立者及び園長は水野重事氏。水野氏はアメリカミッションボード(宣教団体)の流れを受けた、日本美普教会(現日本基督教会)の牧師であった。
 彼は、明治32年頃来町し、有力者たちに幼児教育の必要性を説き、幼稚園の設立を提唱した。そうして、伊東孫左衛門・井口半兵衛・間瀬昇太郎諸氏の後援を得ることに成功した。
 幼稚園の敷地は亀崎町字大池の井口半兵衛の所有地を借り受け、園舎は伊東孫左衛門から800円の融資を得て建設された。
 また、備品その他は亀崎銀行から600円の雄志を受けて開設にこぎつけた。
 明治32年6月に「幼稚園保育及設備規程」が制定された後、全国的に幼稚園が普及し始めたとされ、愛知県内では、明治20年私立愛知女学校附属幼稚園(同22年廃止)・明治23年市立豊橋幼稚園(同27年廃園)・明治24年私立西尾幼稚園(同34年廃園)・明治25年私立名古屋幼稚園(同32年移管)・明治33年私立岡崎幼稚園・明治34年名古屋の私立柳城幼稚園・豊橋の私立豊橋幼稚園に続く、8番目の設立であった。
 当初は保育期間六ヶ月で(明治38年から3年)、保母2名で64名(男30名女34名)の園児をむかえて保育を開始した。明治37年からは半田町から汽車通園(国鉄武豊線は明治19年開通)する園児もあった。
 
2 認可(明治35年10月14日)……開園記念日
 
 私立亀崎幼稚園として本県より認可
(1)位 置…亀崎町字大池29番地
(2)敷 地…井口半兵衛氏所有地を借用
(3)建築費…伊東孫左エ衛門氏より金800円の融資をうけて園舎建築
(4)備品費…亀崎銀行より有志の拠金を得て、返済を条件に借入
(5)設立者…水野重事氏
(6)園 長…間瀬昇太郎(町長)
(7)状 況…愛知県下には、名古屋第一幼稚園(明治25年設立)、岡崎梅園幼稚園についで3番目の設立。半田町よりも汽車で通園する者もあり、当時全国で262園あった。
 
3 危 機
 
 存続の危機 T
 設立時には有志者から相当な寄付が寄せられていたが、財政状況は思わしくなく、3年後には負債が拡大し、経営の危機に陥った。当時亀崎町助役の森居廣行氏はこの事態を重く見て、伊東寿三郎氏に世話係を委嘱した。伊東孫左衛門とともに、町から補助金支出を取り付けることに成功し、幼稚園は存続することとなった。
 
 存続の危機 U
 明治39年5月、亀崎町は乙川村と有脇村を合併した。その際の町議会で、幼稚園への補助金(250円)支出が否決されてしまい、またもや財政危機に直面する。町長兼園長間瀬昇太郎氏の廃園止む無しの構えに、当時の保姆中島歌子氏は大いに憤慨し、不足経費を自ら立て替えて、森居助役や竹内辰次郎氏の協力をあおぎ、町内の人々に幼稚園存続を訴えて、資金を募らんと奔走尽力した。その結果ようやく9月の町議会で補助金支出が復活されることになり危機を乗り越えた。


 存続の危機 V
 明治42年、第一小学校(小池谷の亀小)の児童増加により、教室が不足した。そこで、幼稚園を一時閉鎖して分教室を設置する案が、小学校校長の花村弘氏や昇郎九氏・岡田松治氏などから提案されて、町議会などで取りざたされたが、関係者の断固たる反対によってこれを拒否した。
 

 
存続の危機 W
 明治43年、土地所有者の井口家が敷地を処分することになった。しかし、亀崎町がこれを買収して、事なきを得た。
 このように、創立後8年の間に相次ぐ危機にみまわれたが、関係者の尽力・帳と牛汽車の英断・そして、町の心ある人々の支えによって切り抜けることができた。


私立から町立へ
 大正7年4月26日愛知県知事の認可を受けて、亀崎町立となる。
 亀崎町立亀崎幼稚園と改称す。定員50名。園長は亀崎小学校長の兼任となる。園長富田伴作先生。
 この年(1918)から卒園生の名は修了証書台帳に記載され、平成13年度(2001)修了証書の最終通し番号は7,620号。後年の間瀬邦先生・川澄不三先生は当年度卒。
 
4 敷地買収(明治43年)
 井口半兵衛氏より町費にて買収。
 
5 町 立(大正7年4月26日)
 県知事の認可により亀崎幼稚園となる。
 
(1)園 長…富田伴作(小学校長が兼任)
(2)園 児…定員50名
(3)敷地地…197.6坪(652u)
(4)建 物…41.6坪(137u)
 
6 増 設(大正15年6月24日)
 保育室一室を増設して定員100名を認可される。
 
7 市 立(昭和12年10月1日)
 市制施行により半田市立亀崎幼稚園となる。
 
8 戦 時
 昭和16年10月…製鉄品施設備品(園門・シーソー・伊東郁二氏寄贈・その他)供出。
 昭和19年10月30日…時局下半田区立亀崎幼稚園一時休園。
 昭和19年11月1日…半田市立亀崎戦時保育所を本園に開設。
 
9 開 園
 昭和20年10月1日…戦時保育所を廃止し開園。
 昭和21年1月…地震のため危険になったので補強工事がなされた。
 
10 みどり会(昭和23年5月)
 父母と教師の会として、みどり会発足。
 
11 50周年記念(昭和27年10月)
 50周年記念式及記念運動会
 
12 分園保育(昭和28年)
 園児急増により、亀崎小学校講堂玄関左右控室を借用。(園児数220名)
 
13 新園舎
 昭和33年10月1日…亀崎月見町1丁目63番地に移転。
(1)園 地…1529坪(5045u)
(2)園 舎… 184坪(607u)
(3)運動場…1148坪(1148u)
 
14 伊勢湾台風(昭和34年9月26日)
 新しい園舎も被害甚大で各方面の見舞いをうける。園児には被害はなかった。
 
15 資料室増築(物置)(昭和37年6月)
 
16 開園60周年記念運動会挙行(昭和37年10月7日)
 記念行事として小学校との合同運動会を開催
 
17 分園保育(昭和39年)
 園児急増により、再び亀崎小学校講堂を借用 (園児数262名 6学級から7学級へ)
 
18 南園舎増築(昭和43年4月15日)
 2保育室増築 (園児数266名 7学級から8学級へ)
 
19 南園舎テラス、渡り増築(昭和44年9月2日)
 
20 正門を新築      (昭和46年4月7日)
 
21 専任園長就任     (昭和47年4月1日)
 長く続いてきた小学校との兼任園長をとき、亀幼・乙幼2園を兼ねる園長が就任した。
 
22 開園70周年祝賀行事挙行(昭和47年10月14日)
 祝賀記念運動会・作品展挙行、開園70周年記念誌「みどり」を発刊。
 
23 園児急増(昭和48年4月1日)
 園児増により、遊戯室を間仕切りして2保育室として使用。
               (園児数271名 8学級から9学級へ)
 
24 園地拡張(昭和49年12月27日)
 707uに
 
25 園舎増築(昭和50年2月15日)
 3保育室と水洗便所を増築、遊戯室は間仕切りを撤去し本来の姿にかえる。
 
26 3年保育を開設(昭和50年4月1日)
 1学級20名で実施する。
27 1学級減になる。(昭和51年4月1日)  9学級から8学級へ
 
28 1学級減になる。(昭和55年4月1日)  8学級から7学級へ
 乙幼との兼任園長廃止。専任園長就任
 
29 1学級減になる。(昭和57年4月1日)  7学級から6学級へ
 
30 開園80周年祝賀行事挙行(昭和58年10月17日)
 祝賀記念運動会挙行、開園80周年記念誌「みどり」を発刊。
 
 
31 開園90周年祝賀行事挙行(平成4年)
 祝賀記念式典挙行、園歌「亀崎幼稚園のうた」竹内豊子作詞、野崎真一作曲披露。
 創作絵本「りゅうくんとあそぼう」間瀬なおかた絵を発刊。

32 開園100周年祝賀行事挙行(平成14年)
 祝賀記念式典挙行、開園100周年記念誌を発刊。

33 開園110周年祝賀行事挙行(平成24年)
 祝賀記念式典挙行、記念品「大型積み木」をいただく。

34 新園舎完成竣工式挙行(平成27年2月25日)
 
35 認定こども園半田市立亀崎幼稚園となる
   (平成27年4月1日)